名称:円珠院の人魚のミイラ
全長:30cm
体重:?
捕獲:江戸時代中期(1736~41年ごろ)
UAM(未確認生物)の中でも世界中にファンがいる人魚。
上半身が人間、下半身が魚という謎の生物。その280年以上前に捕獲されたというミイラに科学のメスが入った!
江戸時代、魚網にかかった人魚のミイラ
このミイラは岡山県浅口市の「円珠院」というお寺に長年保管されていたもの。
添えられていた手紙には明治36年(1903年)と記され、その由来として江戸時代中期の元文年間(1736から41年)に高知沖で漁船の網にかかり、世にも珍しい魚として大阪で売られたものを備後福山(広島県福山市)の小島家が購入し、家宝として大切にしていたと書かれている。
人魚のミイラを分析
ミイラは体長約30cm。桐の箱の中に収められていた。
この人魚のミイラについて、妖怪や民間伝承を研究する岡山民俗学会の木下理事が関心を持ち、2022年2月2日から倉敷芸術科学大学と倉敷市立自然史博物館が調査・分析を行い、さきほど中間報告が発表された。
2022年4月4日に発表された倉敷芸術科学大学の中間報告書はこちらから。
化石哺乳類が専門家の加藤教授が上半身を、魚類学が専門の山野准教授か下半身を分析。
分子生物学が専門の武光准教授がDNA分析を担当した。
報告書によると、頭部には頭髪があり、人間か猿のように見える。口には鋭いキバがあり、肉食性の魚類を思わせる。爪の生えた5本指の両手で顔を覆うようにしている。
下半身は、途中で折りたたまれ、尾びれや背びれ、腹びれが確認でき、鱗も見える。
上半身は霊長類の特徴を、下半身は魚類の特徴をもっている。
頭髪の毛を電子顕微鏡で観察したところ、人間やほかの哺乳類と同じくキューティクルが確認できた。
CT撮影によると内臓は見当たらず、骨格はアゴ、ヒレ、尾部で確認できた。
首と背びれには金属性の針が刺さっている。
さらに右腕のうろこ(黄色の矢印)と胴体部分のうろこ(青色の矢印)で、うろこの種類が異なっている。
今後は、骨格、爪、毛、うろこについてほかの生物との比較をおこない、DNA分析を実施する。
2022年9月ごろには最終的な研究成果を報告予定とのこと。
なお、この円珠院の人魚のミイラは、2022年7月中旬から9月下旬まで、倉敷市立自然史博物館で展示されるそう。
考察
さて今回のミイラ、初見で「想像していた人魚のイメージと違った!」という人がいるかもしれない。
人魚といえばこのような美し女性の姿がメジャーだが、世界的にみると、今回のお寺のミイラのような生々しい?姿が一般的なようだ。
たとえばフィジー人魚と呼ばれる、19世紀に南太平洋のフィジー諸島の近くで捕獲されたという人魚は、今回の円珠院のミイラととてもよく似ている。
この人魚はアメリカの興行師、フィニアス・テイラー・バーナムのコレクションとしてニューヨークの博物館に1842年に展示されたが、その後消失した。
このフィジー人魚は、アメリカ人のサミュエル・バレット・エデスという船長が、1822年に日本人の船乗りから購入したという。
その後、1842年にボストン博物館のモーゼス・キンボール氏に売却され、キンボール氏からバーナム氏のもとに渡った。
バーナム氏は自伝の中で、フィジー人魚を「醜い乾燥した、黒く見える小さな標本。長さ約3フィート(約90cm)。口を開け、尻尾をひっくり返し、腕を上げて、持っているように見せた」と説明している。
伝説の美しい人魚とはかけはなられた姿だが、後半の記述を注意して読むと「持っているように見せた」と書かれている。
なんとこの人魚、バーナム氏によると、子供の猿の上半身と、魚の下半身を無理やり縫い付けたものだという。
円珠院の人魚ミイラの分析結果が待ち遠しくもちょっと心配になる。
UMAファンとしては、バーナム氏のミイラは本来生息していた本物を人の手で再現したもので、江戸時代の太平洋では、本物の人魚が生き生きと泳いでいたというロマンを信じたい。